プロフィール

氏名 田中 けん
生年月日 1977年7月18日
略歴
1977年
静岡県庵原郡富士川町(現富士市)出生 富士川町立第一幼稚園 第一小学校・第一中学校卒業
1996年
静岡県立富士高等学校卒業 学生時代はバスケット、陸上、水泳とスポーツに熱中
2001年
青山学院大学経済学部卒業 新聞奨学生として、新聞配達をしながら大学に通う 第一勧業銀行・みずほ銀行 勤務 大田区担当。町工場、中小企業のおやじさんが原点
2003年
大田区議会議員選挙 初当選 中小企業対策・東京湾環境問題・教育問題に取り組む
2007年
東京都議会議員補欠選挙 惜敗 衆議院議員秘書 国会秘書として、天下り・特別会計・道路特定財源等、 数々の税金の無駄遣いの調査を担当
2009年
東京都議会議員選挙 初当選 新銀行東京・築地市場移転・救急医療 都監理団体等の問題に取り組む
2013年
東京都議会議員2期目 当選 防災・災害医療・オリンピック・交通問題 羽田空港国際化、青少年問題に取り組む
2017年
衆議院議員選挙出馬 57,581票いただくも次点惜敗
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いまこそ!この国を創り直す!!

2年前、責任ある未来を次の世代に残すため、生まれ故郷にこの身を捧げる覚悟で挑戦しました。
結果、当選には至りませんでした。
私を支援して頂いた皆様に申し訳ないという気持ちで、言葉もありませんでした。あの時のくやしさを私は一度も忘れたことはありません。

生まれ育った地元を歩き、いろいろな方々の声を聞くたびに地域が疲れている、寂れていることを実感しています。

消費税増税による急激な消費の落ち込みに加え、新型コロナウイルスの感染拡大や経済活動の自粛により社会に大きな不安が広がっています。
そのため、中小企業や小規模事業主の経営が悪化し、地方が疲弊しています。都市と地方の格差は広がるばかりです。

私は、大学時代を新聞奨学生として過ごし、卒業後の銀行員時代は大田区の中小企業を担当しました。
中小零細企業の経営者の方々が従業員と会社を守り、大きな夢を実現するために、現場で汗水たらしている姿をみて、私も必死になって支援し続けて参りました。

地方議員としても住民と最も近い距離で信頼関係を築き取り組みました。
議員活動を通して私が学んだことは、「正解は常に現場にあり」「まずは人の声、想いを聞くこと」が何より大事だということです。

落選したときの原点を忘れず、今一度皆様の期待に応えるべく、文字通り裸一貫で再度やり抜くことを決意しました。地域を歩いて皆さんの声を形にしていきます。
是非ともご支援をよろしくお願いいたします。

幼少時代

・地元の八坂神社の夏祭りの日に生まれる。お祭り好きなのは出生が影響しているのかもしれない。

・とにかくおじいちゃん子で、いつも一緒だった。おじいちゃんのベッドで一緒に寝てばかりいた。戦争に行ったおじいちゃんは映画「トラ・トラ・トラ」が好きで何度も見ていた。

・将来の夢はパイロット。もちろん乗ったこともなかったが、空への憧れが強かった。

・幼稚園に迷い込んだ犬を自宅に連れて帰り、どうしても飼いたいと迫ったという。愛犬「クロ」とはそれから15年間一緒に住み続けることに。

小学校時代

・6年間短パンで通学。当時は長ズボンを履いていくのは風邪をひいたときぐらいだった。

・習い事は読み書きそろばんと言われていた当時の王道として「習字・そろばん」に通う。
また、スポーツにおいては6年間スイミングスクールに通い、小学校の〝グンスイ〟(庵原郡水泳大会)で3連覇を果たす。

・当時は月間「コロコロコミック」に夢中に。その後は「少年ジャンプ」にはまり漫画好きの道へまっしぐら。ゲームはもっぱらファミコン。ドンキーコングからドラクエ、FFとなんでもやった。

・体育祭では応援団長を務め、兄の学ランを着て少し大人になった気がした。

・自由研究が好きで、「町に流れる町内放送の秘密」と題する研究したときに賞をもらった。

中学校時代

・自宅が中学校のチャイムが聞こえるくらいの近さだったため、いつもぎりぎりまで家にいた覚えがある。

・男子は全員丸坊主の時代。夏は良いが、冬は頭がいつも寒かった。

・部活はバスケットボール部。強いと言えるチームではなかったが、皆仲が良く、和気あいあいとした雰囲気だった。

・当時は走るのも得意で、庵原郡の陸上大会や学校対抗の駅伝大会にも出場していた。

・生徒会長選挙に立候補するも落選。生徒会規約の見直しなど、公約が響かなかった。今思えばこの時から選挙をやっていたんだなあと運命を感じる。

高校時代

・小中学校は自宅からすぐ近く、町を出ることもが少なかったが、初めて隣の富士市(現在は合併して同じ自治体)に通うことに。愛車はマイ自転車。毎日富士川橋を渡って学校に通ったのが思い出。

・学校の名物は応援団と百人一首。一年生は応援団の指示で授業が終わるとグランドで校歌や応援歌の練習が日課。休むことは許されず最初は誰もが度肝を抜かれる。また百人一首は過去全国大会10連覇をした実績があることから、学内大会があり、みんなが百人一首に燃える。

・部活はバスケ部と放送部。最初は中学校からの延長でバスケ部に入るが、しだいに興味はしゃべることに。毎日お昼の時間にナレーターを務め放送を続けた。学園祭では「クイズ・ファソラシドン」が大変好評だった。

・富士高の校訓「克己心身を練れ・勤勉実力を養え・至誠事に当れ」は今でも私にとって教訓。特に校歌の「国家有為の材たるべしと尚志研学真理を索ぬ」の歌詞には、いつも自分がそうでありたいと思い、気持ちが高ぶる。

大学時代

・大学は新聞奨学生として、新聞配達をしながら学校に通った。当時は厚木にキャンパスがあり、私は橋本の新聞販売店でお世話になり、暑い日も寒い日も元旦も新聞を配った。新聞販売店にはいろいろな過去を持ち、いろんな経緯で仕事をしている人がいて社会の厳しい現状を目の当たりにした。本当につらかったが、同期の奨学生と励まし合いながら頑張れたことは、自分の中の自信につながっている。

・成人式は東京が10年ぶりの大雪に。新聞を配り終えてから静岡に向かう予定が、新聞は届かない、カブが運転できず走って配り終えたのはお昼ごろ。急いで電車に飛び乗るが新幹線も不通。やっと夕方に着いてみんなと再会できたのが今でも良い思い出。

・サークルは国際交流サークルを立ち上げ様々な留学生と活動。石川県で開かれる日本最大の留学生イベント「JAPAN TENT」に毎年参加。そこでコーディネーターを務めたのが、今の静岡県知事の川勝平太氏。静岡での再会には運命を感じざるを得ない。

・高校の同級生の山田君(ASIAN KUNG-FU GENERATIONベース・ボーカル)がライブ活動をしていたことがきっかけで都内のライブハウスに通うことが多くなった。今では海外でも人気のアジカンは同級生としての誇り。

・初めての選挙は鳩山邦夫事務所の学生スタッフ。小沢教授の国際関係論の授業を受けていた際に、政治をより知りたければ現場に行け、と言われ二つ返事で事務所に行き都知事選挙のお手伝いをしたのがきっかけ。まさかこの時は将来都議会議員になるとは露程にも思っていなかった。

社会人時代

・みずほ銀行1期生として社会人スタート。配属は東京都大田区の蒲田支店。大田区は言わずと知れた中小零細企業の集積地であり、町工場のおじちゃんおばちゃんに社会人としてのイロハを教わる。政治において中小企業支援を掲げるのは、原点がここにあるため。

・大田区南雪谷の第一勧銀寮が初めての東京での住まい。部屋はベットと机しかない2畳ほどの部屋でほとんど寝るだけの生活。まさかその後、議員となり雪谷に住むことになるとはこの時はつゆ程にも思っていなかった。

大田区議会議員

・右も左もわからない中、とにかく行動力で大田区中を駆け回る。大田区は神社の数が日本有数であり、一年を通じて本当に多くのお祭りがある。お神輿を担がせてもらい、世代を超えてのお付き合いを今でもさせてもらっている。

当時、以下インタビューを受けました。
「25歳会社員、夢と志で議員に」
https://allabout.co.jp/gm/gc/291299/

細野豪志秘書

・都議会の補欠選挙に立候補するも次点で惜敗。次の日に細野豪志さんから電話があり、「再度挑戦するなら秘書として勉強しながら次に備えよう!」と声を掛けて頂き、国会担当の秘書として活動。

・当時は第一次安倍内閣。細野豪志が予算委員会中心に常に質問に立ち、天下りや特別会計の無駄遣いの追求、道路特定財源の廃止等数多くの問題に取り組んだ。その裏方として支える仕事を担えたことは。大変充実した2年間だった。

東京都議会議員

・1期目はトップ当選、2期目は7位とブービー。選挙の厳しさを知ることになる。

・石原氏・猪瀬氏・舛添氏と3代の知事に都議として対峙した。一番の思い出は石原都知事時代、本会議終了後の東日本大震災が起きたこと。都庁・都議会議場にも多くの帰宅困難者が集まりともに一夜を過ごした。

・大震災の時の経験から、一般社団法人 日本医療資源開発促進機構の設立に参画し、都市防災と医療災害の研究を続けている。
http://www.mrd.or.jp/seminar/20140514.html